孟スピードで目の前を横切るポールの後ろを山々がゆっくりと流れて行く。
僕は今、新幹線に乗って実家へ帰郷する途中だ。
受験まっただ中なこの時期になぜ故郷へ帰るのか。話は6日程前に遡る。
予備校からアパートに戻ると、留守電のボタンがチカチカと赤く点滅していた。少し嫌な予感がしたが、再生ボタンを押し用件を聞いた。案の定それは実家からの電話だった。それも兄からである。内容は、僕のこれから先の進路について話があるから、今度の成人式の日にこっちへ帰ってこいというものだった。
東京に来て2年。盆も正月も実家には帰ってなかった。1浪目の受験に失敗して、その報告に戻ったのが最後。あれから、もう1年になる。しかしなんだって今頃僕を呼ぶのか。1枚だって多く絵を描かなきゃならないこの時期に。実家になんて帰ってられるか。
僕は電話をかけた。
出たのは兄だった。
「今年、万が一受験に失敗した時、お前どうするのか考えてんのか?親父ももう歳だし、ウチには余裕がないことぐらいわかってるよな。それに今年はお前成人式だろ。一生に一度のことなんだからちゃんと出席しろ。親父にスーツ着てビシッとしたとこ見せて少しは安心させてやれ。ちょっとは親孝行しろ。わかったな。」
そういわれるとなんだか後ろめたい気持ちになり、僕は実家に帰ることにしたのだった。
実家に着くと真新しいスーツとネクタイが用意されていた。この日にために兄貴がわざわざ用意してくれたらしい。
親父と顔を合わせるのは久しぶりだったが、素っ気ない挨拶をすませて、急いでスーツに着替る。会場にいく前に家の前で記念撮影をする。
そういえば入学式や卒業式には必ず家の前で写真撮ってたな。と自分の今までの成長を振り返ったりした。2、3枚、照れくささをこらえた、微妙な顔を写真に収められたあと、僕はいそいそと成人式の会場である市の文化会館へと向かうのであった。
つづく
2006年01月24日
2006年01月13日
連載小説 「赤レンガの門」 第七回
予備校が始まった。
お正月ムードも抜け、自分が受験生であることを再確認。親から仕送りと一緒に振り込まれていたお年玉で画材を買う。
いままでは画材代をケチり、絵具は全てパーマネント。
しかし、受験もラストスパート。お年玉で一気に画材を買い溜め、入試まで乗り切るのだ。
今までずっと画材代を節約し、絵具もちょびりちょびり、テレピンで薄めて使っていた。ナイフで盛り上げなんてもってのほか。キャンバスは裏キャンにジェッソを塗って二度使い、リバーシブルにしていた。
他にも、モデリングペーストの代わりにジェッソと炭カルを混ぜて使ったりした。下地に使うと上からの絵具を良く吸い込んで便利だったが、モデリングペーストより弾力がなく、すぐひび割れた。
「もっと絵具使って、豚毛でグッと厚く決めたら...?」そういう講師のアドバイスを何回聞いたことか。
今日からはいくらでも厚塗りができる。新品のキャンバスに絵が描ける!
「自分の頭に浮かんだ色を、好きなだけ使える。油絵具をナイフで乗せるこの感触。これこそ忘れかけていた油絵の醍醐味!」
年明け初の課題。僕はルンルン気分で制作をしていた。
誰かが「絵具は画家の血であり、骨である。」と言っていたが、まさにその通り。良い絵具を使うことで作品もどっしりとしてくるのだ。画材がちゃんと揃っていることで自分のイメージを余すことなく表現できる。
そして今日の僕はことのほか頭が冴え、絶好調だった。
講師も作品を見るや「おっ。なかなかいいじゃんか。」と好感触。
「今年はT大かM大なら行くんじゃないの?」
おーっ。
「まーでもG大はな...。」
チッ。と思いつつも自己ベストの作品が描けた満足感で心は満たされていた。
「今日はいい仕事をした。」心地よい疲労感を抱きながら床につくのであった。
つづく
お正月ムードも抜け、自分が受験生であることを再確認。親から仕送りと一緒に振り込まれていたお年玉で画材を買う。
いままでは画材代をケチり、絵具は全てパーマネント。
しかし、受験もラストスパート。お年玉で一気に画材を買い溜め、入試まで乗り切るのだ。
今までずっと画材代を節約し、絵具もちょびりちょびり、テレピンで薄めて使っていた。ナイフで盛り上げなんてもってのほか。キャンバスは裏キャンにジェッソを塗って二度使い、リバーシブルにしていた。
他にも、モデリングペーストの代わりにジェッソと炭カルを混ぜて使ったりした。下地に使うと上からの絵具を良く吸い込んで便利だったが、モデリングペーストより弾力がなく、すぐひび割れた。
「もっと絵具使って、豚毛でグッと厚く決めたら...?」そういう講師のアドバイスを何回聞いたことか。
今日からはいくらでも厚塗りができる。新品のキャンバスに絵が描ける!
「自分の頭に浮かんだ色を、好きなだけ使える。油絵具をナイフで乗せるこの感触。これこそ忘れかけていた油絵の醍醐味!」
年明け初の課題。僕はルンルン気分で制作をしていた。
誰かが「絵具は画家の血であり、骨である。」と言っていたが、まさにその通り。良い絵具を使うことで作品もどっしりとしてくるのだ。画材がちゃんと揃っていることで自分のイメージを余すことなく表現できる。
そして今日の僕はことのほか頭が冴え、絶好調だった。
講師も作品を見るや「おっ。なかなかいいじゃんか。」と好感触。
「今年はT大かM大なら行くんじゃないの?」
おーっ。
「まーでもG大はな...。」
チッ。と思いつつも自己ベストの作品が描けた満足感で心は満たされていた。
「今日はいい仕事をした。」心地よい疲労感を抱きながら床につくのであった。
つづく
2006年01月07日
連載小説 『赤レンガの門』 第六回
あと5分で年が明ける。
『ゆく年来る年』を見ながら新年に向けてのカウントダウンを指折り数える。
「5、4、3、2、1、明けまして、おめでとうございます!」
年が明けた。一年が終わり、新しい一年が始まる。去年は受験に失敗し、一昨年も失敗した。そう僕は今、2浪...。
今年こそは大学生になりたい!G大に受かりたいなんて贅沢は言わない。もう浪人街道まっしぐらなカンジはいやだ!神様!お願いします!
そして僕は近所の神社へと初詣に出かけた。
何軒かの屋台が出ていて、白熱灯が光り、辺りを照らす。
焼きそばやお好み焼きのいい香りと小型発電機の排気の匂いが混ざり合い、お祭りや縁日のときのあの独特な匂いが辺り一面に立ちこめていた。そんな華やかな雰囲気のなかで、僕は一人、神妙な面持ちで参道を歩く。
柄杓で手と口を清め、本堂へ向かう。お賽銭を投げ、手を合わせて願いごとをする。
「今年は今までの努力が実を結び、結果が出せますように。」
拝むこと1分弱。深々とお辞儀をし、お参りをすませて、いざ、おみくじへ。年初めの、ここが勝負どころだ。
「今年の入試結果はどうなるのでしょうか...。」心の中でつぶやき、精神を集中する。
きれいに折り畳まれたおみくじを丁寧にめくっていく...。緊張で息をのむ...神様!。薄目を開け、おみくじに目をやる。結果は...”大吉”!
「よぉぉぉぉぃっしゃぁっ〜!」拳を握りしめガッツポーズを決めた。
「今年こそ大学に合格する...。」そうつぶやき、決意を新たに神社の境内をあとにするのであった。
つづく
『ゆく年来る年』を見ながら新年に向けてのカウントダウンを指折り数える。
「5、4、3、2、1、明けまして、おめでとうございます!」
年が明けた。一年が終わり、新しい一年が始まる。去年は受験に失敗し、一昨年も失敗した。そう僕は今、2浪...。
今年こそは大学生になりたい!G大に受かりたいなんて贅沢は言わない。もう浪人街道まっしぐらなカンジはいやだ!神様!お願いします!
そして僕は近所の神社へと初詣に出かけた。
何軒かの屋台が出ていて、白熱灯が光り、辺りを照らす。
焼きそばやお好み焼きのいい香りと小型発電機の排気の匂いが混ざり合い、お祭りや縁日のときのあの独特な匂いが辺り一面に立ちこめていた。そんな華やかな雰囲気のなかで、僕は一人、神妙な面持ちで参道を歩く。
柄杓で手と口を清め、本堂へ向かう。お賽銭を投げ、手を合わせて願いごとをする。
「今年は今までの努力が実を結び、結果が出せますように。」
拝むこと1分弱。深々とお辞儀をし、お参りをすませて、いざ、おみくじへ。年初めの、ここが勝負どころだ。
「今年の入試結果はどうなるのでしょうか...。」心の中でつぶやき、精神を集中する。
きれいに折り畳まれたおみくじを丁寧にめくっていく...。緊張で息をのむ...神様!。薄目を開け、おみくじに目をやる。結果は...”大吉”!
「よぉぉぉぉぃっしゃぁっ〜!」拳を握りしめガッツポーズを決めた。
「今年こそ大学に合格する...。」そうつぶやき、決意を新たに神社の境内をあとにするのであった。
つづく
2005年12月30日
連載小説 『赤レンガの門』 第五回
今日で予備校が終わり、明日からお正月休みに入る。カルトンバッグ一杯に作品を抱え、何人かが駅の方へ向かうのが見える。笑顔で年末の挨拶をしている。
「良いお年を。」
僕は予備校の屋上からみんなの何気ない笑顔を眺めていた。年末最後のコンクール。結果は135位。
後ろから数えた方が断然早い。悔しさから一人でやけ酒ならぬ、やけコーラをしていた。
炭酸で腹が膨れる苦しさでコンクールの結果など忘れてやるのだ。
「ちきしょう浮かれて笑顔で挨拶なんかしやがって。どうせコンクールの結果が良かったんだろう。」と心の中でつぶやき、つぶやいたあとで自分の心の醜さを嘆く。
入試まで後三ヶ月。三ヶ月後には受験は終わっているのか...。長いようで短い一年だった...。
『おい何やってんだ帰ろうぜ!』
物思いにふけっていると、久保田が迎えにきた。彼とは高校の同級生で一緒に上京し、同じアパートで生活していた。
もちろん彼も浪人中。
『木村んとこに集まって忘年会やろうぜ。アパートでまってるから早く来いよ。』
僕の情けない表情をみて気を使ってくれたのだろう。そういうと先に階段を下りて帰っていった。
結果の出てしまったことは、どんなに頑張っても変えることは出来ないが、これから先のことはいくらでも変えることが出来る。終わってしまったことをいつまでも悔やんでも未来は何も変わらないのだ...。
僕はコーラの缶をゴミ箱へ投げ捨て、久保田のあとを追いかけるのであった。
つづく
「良いお年を。」
僕は予備校の屋上からみんなの何気ない笑顔を眺めていた。年末最後のコンクール。結果は135位。
後ろから数えた方が断然早い。悔しさから一人でやけ酒ならぬ、やけコーラをしていた。
炭酸で腹が膨れる苦しさでコンクールの結果など忘れてやるのだ。
「ちきしょう浮かれて笑顔で挨拶なんかしやがって。どうせコンクールの結果が良かったんだろう。」と心の中でつぶやき、つぶやいたあとで自分の心の醜さを嘆く。
入試まで後三ヶ月。三ヶ月後には受験は終わっているのか...。長いようで短い一年だった...。
『おい何やってんだ帰ろうぜ!』
物思いにふけっていると、久保田が迎えにきた。彼とは高校の同級生で一緒に上京し、同じアパートで生活していた。
もちろん彼も浪人中。
『木村んとこに集まって忘年会やろうぜ。アパートでまってるから早く来いよ。』
僕の情けない表情をみて気を使ってくれたのだろう。そういうと先に階段を下りて帰っていった。
結果の出てしまったことは、どんなに頑張っても変えることは出来ないが、これから先のことはいくらでも変えることが出来る。終わってしまったことをいつまでも悔やんでも未来は何も変わらないのだ...。
僕はコーラの缶をゴミ箱へ投げ捨て、久保田のあとを追いかけるのであった。
つづく
2005年12月29日
連載小説 『赤レンガの門』 弟四回
昼飯を摂るのに屋上へと向かう。
今日はとても天気が良く、風も気持ちがよい。もう何人かベンチに座り昼食を食べている。
僕は近くの駄菓子屋で買ったカップ麺を手に持ち辺りを見回した。まだ誰も知り合いは来ていない。
ほっとし、近くのベンチに腰をかける。お昼は一人で、文庫本を片手にカップ麺を啜るのが僕の決まりだ。本を読み、現実からしばし逃避する。
近頃みんな受験の話題しかしない。そんな話に相づちをうつのにはもううんざりだった。
僕のウチは裕福ではなく、予備校へ通うのに親を説得するのも大変だった。
僕が美大に行きたいと言ったのは高三の夏。
親父は『絵なんかでどうやって飯を食っていく気だ!お前は男で、将来は金を稼がなきゃならんのだぞ。』と大反対だった。親父は息子の僕が言うのもなんだが昔気質な人で、真面目で頑固だった。男は働いて家族を養うもの、それが親父の考えだった。
『絵なんてそんなもんは金持ちのやることだ。別に絵を描くのはかまわん。でもそれは自分で金を稼いでからにしろ。』
『でも僕は大学で絵を勉強して画家になりたいんだ!』
『画家になる?そんな夢みたいなこと言って。画家になりたければもっと他のことで有名になってからやれ。八代亜紀みたいに有名になれば絵も売れる。そうじゃなければ誰が絵なんて買う?有名人が描くから絵ってのは売れるんだ!』
『....そうだとしても...僕は絵を描きたいんだ!』
そのとき僕は何とか食い下がろうと必死だった。
中学も高校も楽しいことなんてなかった。みんなテレビ番組や芸能人のはなしばかり。みんなの話していることについていけなかった。誰と誰が付き合っただの別れただの。陰口やうわさ話ばかり。うんざりだった。
そんな中で絵を描いているときだけが、まわりを忘れて自分の世界に没頭できる唯一のことだった。絵を描いていれば、体育での失敗も、英語の赤点も忘れて楽しい気分になれた。
『僕には絵しか無いんだ。絵をとったら僕には何も残らない!僕は絵を描いていきたいんだ、一生!』
僕は目に涙を溜め力一杯訴えた。
すると、親父は無言で部屋を出ていった。
それから数日たったある日、その間僕は親父と会話をせず、親父も僕に話しかけなかったが、親父が『美術予備校って言うのはいくらかかるんだ?』と聞いてきた。
僕は呆気のとられ、すぐに返事が出来なかったが、机にしまってあった予備校のパンフレットを取り出し、差し出した。
そうして上京し、直前講習に通うこととなったが、大学に合格することはできず、行きずりでそもまま浪人することを許してもらい、今へと至るのである。
つづく
今日はとても天気が良く、風も気持ちがよい。もう何人かベンチに座り昼食を食べている。
僕は近くの駄菓子屋で買ったカップ麺を手に持ち辺りを見回した。まだ誰も知り合いは来ていない。
ほっとし、近くのベンチに腰をかける。お昼は一人で、文庫本を片手にカップ麺を啜るのが僕の決まりだ。本を読み、現実からしばし逃避する。
近頃みんな受験の話題しかしない。そんな話に相づちをうつのにはもううんざりだった。
僕のウチは裕福ではなく、予備校へ通うのに親を説得するのも大変だった。
僕が美大に行きたいと言ったのは高三の夏。
親父は『絵なんかでどうやって飯を食っていく気だ!お前は男で、将来は金を稼がなきゃならんのだぞ。』と大反対だった。親父は息子の僕が言うのもなんだが昔気質な人で、真面目で頑固だった。男は働いて家族を養うもの、それが親父の考えだった。
『絵なんてそんなもんは金持ちのやることだ。別に絵を描くのはかまわん。でもそれは自分で金を稼いでからにしろ。』
『でも僕は大学で絵を勉強して画家になりたいんだ!』
『画家になる?そんな夢みたいなこと言って。画家になりたければもっと他のことで有名になってからやれ。八代亜紀みたいに有名になれば絵も売れる。そうじゃなければ誰が絵なんて買う?有名人が描くから絵ってのは売れるんだ!』
『....そうだとしても...僕は絵を描きたいんだ!』
そのとき僕は何とか食い下がろうと必死だった。
中学も高校も楽しいことなんてなかった。みんなテレビ番組や芸能人のはなしばかり。みんなの話していることについていけなかった。誰と誰が付き合っただの別れただの。陰口やうわさ話ばかり。うんざりだった。
そんな中で絵を描いているときだけが、まわりを忘れて自分の世界に没頭できる唯一のことだった。絵を描いていれば、体育での失敗も、英語の赤点も忘れて楽しい気分になれた。
『僕には絵しか無いんだ。絵をとったら僕には何も残らない!僕は絵を描いていきたいんだ、一生!』
僕は目に涙を溜め力一杯訴えた。
すると、親父は無言で部屋を出ていった。
それから数日たったある日、その間僕は親父と会話をせず、親父も僕に話しかけなかったが、親父が『美術予備校って言うのはいくらかかるんだ?』と聞いてきた。
僕は呆気のとられ、すぐに返事が出来なかったが、机にしまってあった予備校のパンフレットを取り出し、差し出した。
そうして上京し、直前講習に通うこととなったが、大学に合格することはできず、行きずりでそもまま浪人することを許してもらい、今へと至るのである。
つづく
2005年12月28日
連載小説 『赤レンガの門』 第三回
毎朝6時に起床し、昨日の夕飯の残りで朝食を摂り、6時58分のテレビの占いでその日一日の運勢を確認してから家を出る。
占いの結果が予備校での作品の出来不出来に影響するので、結果が悪いとお昼にコンビニで週刊誌の占いに目を通し、いい結果を探して、『大丈夫、大丈夫』と自分に言い聞かせていた。
今日の天秤座は3位だったので、僕は安心して予備校へ向かった。
講師の本田先生が指ぱっちんをしながらアトリエに入ってきた。どうやら今日は機嫌が良さそうだ。G大の大学院を修了し、今年29歳。髪型と眼鏡が藤田嗣治に似ていることから、僕らの間ではレオナルドとあだ名されていた。
その頃、勝手にあだ名を付けるのが流行っていて、頭の形が絶壁で、坊主頭だったヤツは、後ろから見た感じがコロッケみたいなので、まんま”コロッケ”とあだ名され、その他にもテンパーでモジャモジャ頭だったヤンキーは、ロン毛ならぬ”モン毛 ”と呼ばれていた。
レオナルドは生徒の真後ろに立って腕を組み、体を左右に振りながら作品を見回るので、空気の動きからその存在を察知することができた。自分の後ろにいると思うと緊張が走り、筆が止まる。一度思い切って振り返ってみたら、僕と背中合わせで制作しているヤツの方を指導していた。
普段は優しくていい先生なのだが、怒りだすと手が付けられないところがあった。いわゆる”キレる”タイプで、講評会で、ずーっと同じことを繰り返し、言うことを聞かないコロッケに対して、『テメーは何度同じこと言わせんだ!』と叫び、持っていた講評棒を折り、思いっきり絵に投げつけたことがあった。
それからというもの、僕らはレオナルドのその日のご機嫌を伺いながら制作することとなる。
つづく
占いの結果が予備校での作品の出来不出来に影響するので、結果が悪いとお昼にコンビニで週刊誌の占いに目を通し、いい結果を探して、『大丈夫、大丈夫』と自分に言い聞かせていた。
今日の天秤座は3位だったので、僕は安心して予備校へ向かった。
講師の本田先生が指ぱっちんをしながらアトリエに入ってきた。どうやら今日は機嫌が良さそうだ。G大の大学院を修了し、今年29歳。髪型と眼鏡が藤田嗣治に似ていることから、僕らの間ではレオナルドとあだ名されていた。
その頃、勝手にあだ名を付けるのが流行っていて、頭の形が絶壁で、坊主頭だったヤツは、後ろから見た感じがコロッケみたいなので、まんま”コロッケ”とあだ名され、その他にもテンパーでモジャモジャ頭だったヤンキーは、ロン毛ならぬ”モン毛 ”と呼ばれていた。
レオナルドは生徒の真後ろに立って腕を組み、体を左右に振りながら作品を見回るので、空気の動きからその存在を察知することができた。自分の後ろにいると思うと緊張が走り、筆が止まる。一度思い切って振り返ってみたら、僕と背中合わせで制作しているヤツの方を指導していた。
普段は優しくていい先生なのだが、怒りだすと手が付けられないところがあった。いわゆる”キレる”タイプで、講評会で、ずーっと同じことを繰り返し、言うことを聞かないコロッケに対して、『テメーは何度同じこと言わせんだ!』と叫び、持っていた講評棒を折り、思いっきり絵に投げつけたことがあった。
それからというもの、僕らはレオナルドのその日のご機嫌を伺いながら制作することとなる。
つづく
2005年12月24日
連載小説 『赤レンガの門』 第二回
春。浪人が決定し、ウィークリーマンションから築20年のボロアパートへと引っ越した。風呂なしの6畳一間。しかし、親からの監視を離れた生活は快適で浪人生活はことのほか楽しかった。
予備校には校則も無いし(実はあったのだろうが、高校よりは厳しくはなかった。)、どんな出で立ちだろうが、誰も眉をひそめることも無く、自己表現として容認されていた(と思う)。とにかくそこは自由な空気で溢れかえっていたのだ。
様々な年齢の人たちがいて、デザイン系のお洒落な人もいれば、つだ義春の世界な人もいた。
予備校で”ヌシ”と呼ばれていた男の人は6浪していて、腰まである長髪が年季を感じさせた。親からもらった講習会費でバスドラを買い、講習会中バンド練習に明け暮れていたという逸話をもつ、70年代風のロッカーな風貌の人だった。
”ヌシ”が一度、僕の後ろで制作していた時のこと、一瞬後ろがものすごく明るくなり、何事かと思い振り返ると”ヌシ”のキャンバスから火柱が天井高くあがっていた。
ライターを使って絵具を焦して、独特なマチエールを作ろうとしたらしい。それが画面から揮発するテレピンに引火したのだ。
常識で考えればわかりそうな話だが、目新しい道具を使ったり、他の人がやったことのないことをすることで、なんとか個性を発揮しようとする風潮があった。
あわや大惨事となるところだったが、近くにいた講師がとっさの判断で布を掛けてなんとか鎮火した。
以後、アトリエの壁には”火器使用禁止”の張り紙が至る所に貼られることとなった。
つづく
予備校には校則も無いし(実はあったのだろうが、高校よりは厳しくはなかった。)、どんな出で立ちだろうが、誰も眉をひそめることも無く、自己表現として容認されていた(と思う)。とにかくそこは自由な空気で溢れかえっていたのだ。
様々な年齢の人たちがいて、デザイン系のお洒落な人もいれば、つだ義春の世界な人もいた。
予備校で”ヌシ”と呼ばれていた男の人は6浪していて、腰まである長髪が年季を感じさせた。親からもらった講習会費でバスドラを買い、講習会中バンド練習に明け暮れていたという逸話をもつ、70年代風のロッカーな風貌の人だった。
”ヌシ”が一度、僕の後ろで制作していた時のこと、一瞬後ろがものすごく明るくなり、何事かと思い振り返ると”ヌシ”のキャンバスから火柱が天井高くあがっていた。
ライターを使って絵具を焦して、独特なマチエールを作ろうとしたらしい。それが画面から揮発するテレピンに引火したのだ。
常識で考えればわかりそうな話だが、目新しい道具を使ったり、他の人がやったことのないことをすることで、なんとか個性を発揮しようとする風潮があった。
あわや大惨事となるところだったが、近くにいた講師がとっさの判断で布を掛けてなんとか鎮火した。
以後、アトリエの壁には”火器使用禁止”の張り紙が至る所に貼られることとなった。
つづく
2005年12月23日
連載小説 『赤レンガの門』 第一回
12月も半ば。光陰矢の如し。受験を強く意識する時期です。
現役生に比べ浪人生は去年受験を経験している分、色々なことが頭を駆け巡っていることと思います。
受験の雰囲気がわかっていることは有利でもありますが、それがプレッシャーに変わることもしばしば。
かく言う私も浪人して、そのことで色々考え過ぎて不安に苛まれたりしました。
今回はそんな自分自身の受験生活を、フィクションを織りまぜて小説風に振り返ってみようと思います。
連載小説 『赤レンガの門』 第1回
今日も満員電車の中にいた。いつもと同じ時刻。毎日同じ電車にもう2年も乗ってる。夜10時に寝て朝6時に起きる。深夜番組なんか正月しか見たことがなかった。
僕の名前は尾大メザス。二十歳。今日もウォークマンをジャカジャカさせながら美術予備校へと向かう。
いつも着ている合皮のジャケットは古着屋で1000円で買った。ところどころほつれ、シワシワで、黒鉛で真っ黒く汚れたジャケット。家族からは不評だったが、汚いとこがカッコ良かった。時はまさに90年代。カート・コバーンが僕の神様だった。
小さい時から絵を描くのが得意だった。小学校、中学校、高校と自分より絵のうまいやつは他に知らない。美術はいつも5。絵がうまいことが僕の自慢だった。しかし、美大を目指して上京した高三の冬、予備校に通い始めて自分が井の中の蛙だったことを、このときはじめて知ることになる。
自信を持って講評に並べた作品は、講師に何か言われるまでもなく良くないことは目に見えていた。予備校には絵のうまいヤツがゴロゴロいた。
焦りと不安が襲ったが、『そんなはずは無い!』と、講師の助言も聞かず、自分を変えず、現実を見なかった僕は、案の定、その年の浪人が決定することになる。
つづく
現役生に比べ浪人生は去年受験を経験している分、色々なことが頭を駆け巡っていることと思います。
受験の雰囲気がわかっていることは有利でもありますが、それがプレッシャーに変わることもしばしば。
かく言う私も浪人して、そのことで色々考え過ぎて不安に苛まれたりしました。
今回はそんな自分自身の受験生活を、フィクションを織りまぜて小説風に振り返ってみようと思います。
連載小説 『赤レンガの門』 第1回
今日も満員電車の中にいた。いつもと同じ時刻。毎日同じ電車にもう2年も乗ってる。夜10時に寝て朝6時に起きる。深夜番組なんか正月しか見たことがなかった。
僕の名前は尾大メザス。二十歳。今日もウォークマンをジャカジャカさせながら美術予備校へと向かう。
いつも着ている合皮のジャケットは古着屋で1000円で買った。ところどころほつれ、シワシワで、黒鉛で真っ黒く汚れたジャケット。家族からは不評だったが、汚いとこがカッコ良かった。時はまさに90年代。カート・コバーンが僕の神様だった。
小さい時から絵を描くのが得意だった。小学校、中学校、高校と自分より絵のうまいやつは他に知らない。美術はいつも5。絵がうまいことが僕の自慢だった。しかし、美大を目指して上京した高三の冬、予備校に通い始めて自分が井の中の蛙だったことを、このときはじめて知ることになる。
自信を持って講評に並べた作品は、講師に何か言われるまでもなく良くないことは目に見えていた。予備校には絵のうまいヤツがゴロゴロいた。
焦りと不安が襲ったが、『そんなはずは無い!』と、講師の助言も聞かず、自分を変えず、現実を見なかった僕は、案の定、その年の浪人が決定することになる。
つづく


