人の波をうまくスリ抜け公園口改札を出る。外の光が眩しい。横断歩道で信号待ちをしている人達。そのほとんどがG大入試の関係者であることは風貌を見れば何となくわかる。
現在15時20分。
合格発表は13時00分にG大の掲示板に貼り出される。
横断歩道の反対側にはすでに発表を見て戻って来た人が立っている。
G大合格者の証である白い紙袋を下げている者、肩を落とし下を向き何かを考えている者...。
あと数分後には自分もこの歩道の向こう側でどちらかになっているのか.....。
ここはまさに、人生交差点。
上野恩賜公園は桜が咲き、淡いピンク色で公園全体を飲み込んでいる。空は澄み切ったように青い。
まさに小春日和でポカポカとした平和な空。しかし、心無しかG大の近くの空は淀み、色々な思念がとぐろを巻いて、どんよりとくすんでいるように見えた。
自分は受かっているのか、落ちているのか....。
一歩一歩、歩くごとに気分が入れ替わる。
「絶対、受かってる!................やっぱ、落ちてるかな.....」
そんなことは考えたってわからない。掲示板で受験番号を確認するまでわからないのだ。わかってはいるが...やはり考えてしまう。
僕は、あのときの自分に出来る精一杯の絵を描いた。納得できる一枚が描けた。あとはそれをG大の教授が認めてくれるかどうかだ。やれるだけはやった。だから結果はどうあれ後悔はしない。
落ちてたら、自分よりも凄いヤツが60人いたってことだ。
それが運命なら甘んじて受けよう。きっと神様が今は受かる時じゃない、受かったらダメになるよ...って言ってるのかもしれないし。
人事は尽くした。あとは天命を待つのみ。
そんなことを考えているうちにG大まであとわずか数十メートル。歴史を感じさせる赤レンガの門が眼前に迫る。
門を抜け、少し奥に進むと木製の年季の入った掲示板がある。そこに最終合格者の受験番号が貼り出される。
まわりには掲示板を見て呆然と立ち尽くす人。歓喜の声を上げ仲間と抱き合う者。嬉し泣き、悔し泣き。
静寂な上野公園とは打って変わって、場末の居酒屋のような、怒濤の人間ドラマが展開されていた。
一次試験の合格発表とは比べものにならない程、合格者の数が少ない。貼り出してある紙はたったの二枚。あのなかに果たして自分の番号があるのか。無い方が普通だ...。そう思わせる程の受験番号の数。
少しずつ掲示板に近づく。とてもゆっくり、スローモーションのように時間が流れる。自分の心臓の音しか聞こえない。
途中から下を向きながら歩く。右、左、片方ずつ足を前に出す。地面を踏みしめる。掲示板の前で足を止める。意を決して顔を上げる。
.....................................................................................................................ある。
番号がある!ある。確かに!
....................................................................
受かったあとのことを考えて無かった。
まずは合格の手続きをしなければ....。
心の中は、とてもあっけらかんとしていた。喜びは確かにある。しかし、G大に合格すれば自分は変わると、凄いことになると、まさに生まれ変わる程のことが起きると考えていた。が、ただ淡々と手続きが進んでいくだけだ。何も変わらない。
.........いや、変わったのだ。2年間の予備校生活、1日1日の課題の積み重ねが、ゆっくりだが、確実に力をつけ、まさにG大に合格する程に自分を変えていたのだ。
大学に受かったから自分が変わるのではない。大学に受かることは結果にしかすぎない。それは後から付いてくることだ。力がつけば、大学生になれるのだ。
僕はG大に受かった。美術大学の最高峰とされるG大に。
だからといって、誰しもがアーティストになれる訳ではない。お笑いで言えば、芸人の養成所に受かったようなものでしかない。ここからが勝負だ。
でも今は少しだけ、今まで頑張った自分へのご褒美に、好きなだけ寝て、好きなだけ遊ぼうと思う。
終わり